バルスブルグ陸軍には昔から一つの制度がある。
ベグライター制度と呼ばれるそれは上官が将来有望だと感じた、もしくは自らが気に入った部下の一人を補佐官として任命するという制度である。

一見軍幹部の勝手だろうと思われる制度であるが、下士官の方にとっても幹部のベグライターになれるということはとても名誉な事なのだ。
軍を統べる上層部に見染められるということは自分の能力が認められたと言うことであり、自分の将来の栄光が決まると言っても過言ではない。
まぁその裏に策略や身内贔屓がない筈はないが、ベグライターも相応の能力が無いと役に立たたないし、上官の方も自分の仕事に直接関わってくるから、今のところ問題なく機能している制度だろう。




そんなバルスブルグ陸軍に所属する一人の下士官がいた。




「遅刻だぁぁぁ!!」

テイト=クラインには周りの同期のように軍への憧れと言うほどの目的や軍人の家系だからという崇高な理由はなかったが、この春に士官学校を卒業してバルスブルグ帝国軍の総本山、念願のホーブルグ要塞に上がれるようになって早半年。
仕事にも慣れてきて、余裕が出来てきたこの頃・・・

「くそっ、よりによって寝坊なんて・・・」

慣れてきて気が緩んだのか、いつもは目覚ましが鳴る前には起きるというのに爆睡してしまっていた。
しかもそんな時に限って目覚まし時計が止まっていたという事態もプラスされているから悪いことというものは続くもの。
その上、いつも起こしてやっている士官学校からの親友は薄情にもテイトを放ってさっさと行ってしまったようだ。
けれどなんとかギリギリの時間に飛び起きたテイトは身支度もそこそこに要塞内にある士官用の寮から職場に向かって全力疾走している。

下っぱだから本当は一番最初に出勤すべきだろうが、今日ばかりは仕方ない。
とにかく遅刻だけにはならないように就業時間までには自分が配属されている部署につかなければ、そう思って要塞を駆け抜けていた時・・・




「待て。」

低い、けれど耳によく響く声がテイトに向けて放たれた。




「はっはい!?」

その声に何故か逆らう事ができず、急いでいる筈だと言うのにその場で立ち止まってしまい、声のした方を振り返る。
テイトの目線の先にいた声をかけてきたのだろうという人物はゆっくりと悠然とした足取りでテイトの近くまでやってくる。
遠くからでも分かる軍服の形はテイトのそれと変わりはないが、肩や胸の装飾から目の前にいる人物がかなりの上位にいる幹部だと分かる。
そしてテイトの近くまでやって来た人物のテイトを見下ろす瞳は透き通るように綺麗な、けれどどこか冷たさを含んだアメジスト。
薄い色素の顔を彩るプラチナブロンドの髪が朝の光を受けてきらきらと輝いているのに目を奪われる。

その人の顔はどこか、どこかで見たことがあるとテイトは目の前の人に釘付けになりながらも記憶をたぐり寄せてこの人物が誰であるか思い出そうと試みる。
しかし思い出す直前、先ほどの声がテイトに向けて再び放たれた。

「貴様・・・」

「はっはいぃ!?」

この人物の目線と同様に何故か逆らえないその声に返事をするテイトの声が裏返ったが、それに気にすることなく白い手袋に包まれた綺麗な、けれどたくましい手がテイトの首筋に添えられたかと思うと・・・

「襟が曲がっている・・・」

「へ?」

それだけ言ってテイトの襟を直すと直ぐにその手は離され、テイトに背を向けて去っていってしまった。
極度に緊張したのにあっさりと終わってしまったその邂逅にしばらく自失呆然とその上官が去って行った方向を見ているしか出来なかったが、就業五分前を告げる放送にはっと我に返り走り出す。

(な、何だったんだ!?)

復活したはいいが、全力ダッシュで職場を目指すテイトの頭の中は混乱の極みにあった。
何故ならようやく思い出したその人、テイトの襟の歪みを直していった人物はバルスブルグ軍でも冷血で名の通ったアヤナミ参謀長官その人だったのだから・・・








「笑うなよっミカゲ!」

「あはは・・・・だって、なあ?」

昼休みで賑わう食堂で薄い緑の髪をした少年がお腹を抱えて大爆笑していた。
そんな親友にテイトは必死になって言いつのる。

「噂じゃねえんだよ!」

「分かってるって、お前が俺に嘘なんてつかねぇのは。」

「そうだけど・・・」

士官学校時代からのルームメイトで、卒業試験の前に親友の誓いを交したミカゲを信じていない筈はない。
けれど今回の話は相手が相手の為・・・

「でもやっぱ信じられねぇよな、あの参謀長官様が・・・」

朝、テイトが襟を直された相手というのが、バルスブルグ軍で知らない人間はいないだろう超有名人。

「あぁ、声かけられて振り向いた時には死ぬかもって・・・」

少し言い過ぎな感がないでもないが、件のアヤナミ参謀長官なる人物はそのぐらいやりかねないと言われているのだ。
若くして参謀長官という高官となったアヤナミ参謀は。

そんな参謀長官、そしてその長官が直属の部隊はバルスブルグ軍、引いてはバルスブルグ帝国全土では知らぬ者はいない程と言われる最強部隊なのだ。
そのトップにいきなり声をかけられて遅刻しなかった自分を誉めてやりたいぐらいだとテイトは思う。

「まぁ気まぐれだったんだろ?
 あっちだって忙しくてきっとお前のことなんて覚えてないさ。」

「・・・そうだな。」

ミカゲの言う通り、帝国一の軍師という人が一下士官なんて覚えているはずかないし、参謀部はいつも仕事に忙殺されていると有名だからきっと直ぐに自分のことなんて忘れてしまってこれきりだろう。
それに本当に気まぐれとしか言いようのない接触だったのだ。

(襟が曲がってたってだけだったし・・・)

そう結論付けると昼休みの終わりを告げる放送が鳴り、午後の仕事に取り掛かるべく二人はお互いの配属先に戻ったのだった。




だったが・・・




「なんで俺、此処にいるんだろう。」

もう関わることなんてないとついさっきミカゲと笑いあっていたはずのテイトは今、城塞内で言う参謀部の扉の前にいた。
昼休みを終えて配属先に戻ったテイトは部署の上官から間違えて紛れ込んでしまっていた書類を参謀部に届けてくれと無理矢理に押し付けられたのだ。

「あの騒ぎはこれのせいか。」

テイトの手にある一枚の、たった一枚だけの書類を巡って一部署がちょっとした騒動になるなんてさすが参謀部と言うべきか。
多分誰が参謀部に持っていくかで揉めに揉めていたのだろう、そんな騒ぎの中にちょうど昼食を終えて帰ってきた新米兵士であるテイトにお鉢が回ってくるのは当たり前と言えば当たり前。
それは理解しているとはいえ・・・

「さて、どうするか・・・」

いざ参謀部に入るにはバルスブルグ帝国軍に入ったばかりの新人にはかなりの覚悟がいるのだった。








所変わってテイトが来る少し前の事・・・


「アヤたん、まーだベグライター決まらないの?」

「うるさい。」

仕事が楽にならないじゃんとアヤナミの机に顎をつけ、軽い口をきくサングラスの幹部。
腰に差した剣はバルスブルグ軍の使う細剣ではなくエキゾチックな刀、と言われる剣が長短と二振り。

「仕事しないヒュウガ少佐には絶対言われたくないと思いますよ。」

どさり、と机に書類の山を置く蜂蜜色の髪の青年。
その腰にはサングラスと同じ刀が二振りさされている。
それにこの青年が先ほどの幹部のベグライターであることが分かる。

制度としては特に規定されているわけではないのだが、特定の幹部のベグライターとなった下士官はその上官から何か愛用している品を授与されるという伝統のような物がある。
それに倣ったのだろう、上官と同じ刀を腰にさしている青年は容赦なく己の上官にキツイ言葉をかけた。

「コナツぅ〜
 そんなことしたら俺が人切りたくなるの知ってるじゃん。」

ぶりっこで自身のベグライターに懇願するが、そんなヒュウガの態度に慣れっこなコナツは全くもって取り合ってくれない。
無表情のまま持ってきた書類を机に積み上げてゆく。
直属の上司に対する態度ではなかなかない様な気もするが、それが彼らの間にある信頼の証かもしれない。

「でもそろそろ本気でベグライターを見つけないといけないですよね。
 ねぇ、ハルセ?」

「そうですね、クロユリ様。」

今度は違う所から可愛らしい声が聞こえてきた。
書類を整理していた眼帯をつけた十を越えたぐらいの子供が可愛らしくアヤナミの方を見つめていた。
その子供は直ぐ傍に控える穏やかな顔をした青年に同意を求めると青年もにこりと微笑んで上司である幼子に倣って頷いた。
こちらは特にベグライターであると一目で分かる品を見につけてはいないが、その間に流れるあうんの呼吸の様な空気に二人がベグライターとして信頼しあっているのだと良く分かる。
クロユリの仕事の進み具合を見計らい、次の書類を渡したり飲み物を差し出したりとその絶妙な間合いはまるで熟年夫婦の様なハルセである。

「そういえば、ミロク様との約束期間が迫ってますしね?」

「カツラギ大佐・・・」

どこか非難の含まれた声で自身に書類を差し出す最後の幹部を見たアヤナミにカツラギはすみませんと言いつつ小さく苦笑している。
特に嫌味を言うつもりはなかったのだが、自身の仕事をしながらもアヤナミの補佐をしているカツラギにとっては、ミロク理事長云々の前に早くアヤナミにベグライターを見つけて貰いたいと常々思っている為、それが声にそれが出てしまっていたようだ。

「でもそろそろ本気でベグライター見つけないとやばいんじゃない?」

真剣、とは言い難いが真面目なことを言うヒュウガに一同は小さく頷いて同意を示した。

アヤナミがなかなか自身のベグライターを見つけないと嘆く彼の支援者であるミロク元元帥はある日、期限までアヤナミにベグライターが見つからなければ自分が推薦してベグライターをつけてやると言い出したのだ。
正直いらない世話だと言ってやりたかったのだが、その地位を退いた今でも陸軍内でかなりの権力を持っていて今は士官学校の理事長と言う位置についているミロクにNOなど言えるはずもない。

そのある意味一方的に決められた約束の期限がもうすぐそこまで迫ってきているのだ。
このままアヤナミにベグライターが見つからないとなれば彼の薦める士官をベグライターにつけなくてはならなくなってしまう。
ミロクがその気になれば優秀な人材など両手の指の数ぐらい簡単に集めてくるだろう。
しかしその優秀な人材がアヤナミにとって必ず利益になるとは限らないのだ。

「そんなことになったら俺、そいつ切っちゃうかも〜」

「ヒュウガやっちゃえ〜」

軽く、恐ろしいことを言うヒュウガに煽るクロユリ。
お互いのベグライターがそれを一応いさめはしたが、内心面白くないとは思っている。

色々な意味でアヤナミ第一なブラックホークの面々はたとえ支援者だとはいえミロクの息のかかったベグライターが参謀部に入ってくるなど許せない事態なのだ。
この策略や利害が渦巻く軍部においてブラックホークは結構好き勝手させてもらっている方ではあるが、あの狸の良いようにされるなんて面白くないものは面白くない。

しかしヒュウガとクロユリの好みや想い云々の前にアヤナミにとってもあまり歓迎出来たものではない。

まずミロクの思い通りになるのがアヤナミといえど多少なりとも気に食わない。
一応アヤナミを引き立ててくれたという恩はあるが、あまりうるさく口を出されるのはやはりアヤナミとて気分の良いものではないのだ。
最大限言うことは聞いてやっているのだから、自分の補佐ぐらい自分の好きなようにさせてもらいたい。

次に使えない者はいらないと常々言っているアヤナミである。
部下に求めるものは当然高く難しい。
まぁそれぐらいできないとこの部署で仕事など出来ないのではあるが、この陸軍内でアヤナミのお眼鏡にかなう士官はなかなかいないのが現実・・・

仕方ないとばかりにため息をつくアヤナミに会議の時間だと知らせるカツラギが再び資料を携えてアヤナミの所までやってきた。
ベグライターの問題の前にミロク程ではないが、古狸のわんさかいる軍事会議が控えている。
そちらの方が重要だと気持ちを切り替えてアヤナミを待つカツラギを従え席を立ったのだった。


それと扉の前に殺気などは感じ取れないが、僅かな気配を感じたのは同時ぐらいであった・・・








そしてテイトと言えば未だに参謀部の執務室の前に立ち往生していた。

アヤナミ参謀直属部隊、通称ブラックホーク。
このホーブルグ要塞で色々な意味で有名なそこは軍の中でも恐れられていることは何度言っても言い足りないぐらいだろう。

なんでも一歩足を踏み入れたら帰ってこられないだの、魔の実験の実験台にされるだの、生気を吸われるだの・・・
明らかに嘘っぽい噂の数々だが、バルスブルグ最強とも言われる黒法術師の集団の前では本当にありそうでその手の噂は絶えない。
しかもテイトは朝一で此処を統べるアヤナミに出会ってしまっている。
もしもあの時に参謀長官の機嫌を損ねるようなことをしていたら・・・そう思うと扉を叩けずにいた。

しかしこの書類を届けなかった時を思えば今一度だけ度胸を見せるだけで救われるだろう。
しかも相手は日々多忙な参謀長官、まさかちょっとした書類を取りに本人が出てくるなんてあり得ない。
自分の様に上官のお使いなどにされるような下っぱの下士官が出てくるに違いないと自分で自分に言い聞かせる。

「俺は悪い事はしてない、うん。」

しかしそう結論つけたわりに、誰も聞いていないのに言い訳じみた事を言ってしまうのもきっと仕方ない。
魔の巣窟と言っても過言ではない所に入る前に必要なことなのだ。

しかしテイトが勇気を振り絞ってドアノブを握ろうとした瞬間、扉が向こうから空いた。


「は・・・」

その一瞬の後、テイトの口から漏れた言葉に宿る感情を何と表現して良い物か・・・
驚くという一番テイトが表すだろう感情すらついて行かないぐらいにさせてしまう存在が扉の向こうに立っていた。


今テイトの目の前にいる人物の姿はつい数時間前にも見て嫌と言うほど目に焼き付いているのだ。
肩や胸元の装飾、深く被った軍高官仕様の装飾のついた軍帽の下でまるで全てを見透かすようなアメジストの瞳。

(ま、幻だ。)

会いたくないと強く思い過ぎてきっと幻を見ているのだ。
そう自分に言い聞かせたが、現実はテイトに思い込みだと終わらせてくれなかった。

「お前・・・」

「は、はいぃ!?」

幻は口を聞いたりしない。
と、言うことは目の前にいる人物はかの有名なアヤナミ参謀長官その人でしかあり得ない。
しかもしかも・・・

「確か・・・」

テイトの顔をまじまじと見つめる切長の瞳と低く響くバリトンに先ほどミカゲと笑い飛ばしていた話が崩れてゆく。
アヤナミ参謀は朝に出会ったテイトのことを覚えている、確実に。

「あ、あぁぁぁ朝はあのような失態をお見せしてしまってすみませんでした!!」

その恐ろしい事実に顔面蒼白になるのを感じながら必死に朝の非礼を侘びなければと結論づけたテイトの頭は無意識に身体に命令を出して、ギリギリまで頭を下げて謝りたおした。

しかし何故か精神的には頭を下げるより土下座したくなる程の存在を放つ目の前の高官に、果たしてそれが通じるのか・・・
けれどテイトにかけられた言葉は以外過ぎて想像を絶するようなもので・・・

「ちょうどいい。
 貴様、私に隷属しろ。」

「・・・はぁ!?」

煮るなり焼くなり好きにしてくれと思っていた相手の思いも寄らない返答。
しかもちょうどいいとはなんぞや?

そんな参謀長官様のお言葉に、もはや混乱の極みにあったテイトには礼儀も何も忘れて書類を置いて逃げる様に走り去るしかできなかった。




食われる。
何故かそんな事を思いながら・・・




この時、これがテイトの人生を今以上に大きく左右する出会いになるなど誰しも予想などつかなかった。

















ついにやってしまった。
パラレル大好き霧立です。

ぶっちゃけアヤナミ様の私に隷属しろが某紅薔薇様に被って見えたのがそもそもの始まり。
友人にアヤテイを説明する際、軍のお偉い様がいたいけな士官学校制に誓いの首輪を持ってに隷属を迫る話だよって説明したのが悪かった(オイ)
首輪=ロザリオ・・・ってどんなだよ!!!

しかし自分的に超楽しかったので書いてみました。
そして続く(爆)

そして続きより先に同じシリーズで違う話が書き上がりそうな予感(爆)
そんな見切り発車なミカみてですが楽しんで頂けると嬉しいです。
霧立は一人楽しく書いていますのでvv(2009/10/18 UP)