彼は焦っていた。
彼の所属するバスケ部で今日は他校との練習試合があって、そこまで部員全員で移動する為に朝10時に駅前集合と昨日の部活後のミーティングで確かに聞いている。
しかし目覚ましをかけ忘れた彼の起床は予定を大幅に過ぎていて大いに慌てた。
頑張ればなんとかなる・・・と速攻で着替えを済ませ、用意をしてあったバッグを引っつかんで駅まで猛ダッシュで向かっていた所。
ようやく駅前のロータリー前までたどり着いたのだが、生憎と目の前の信号は赤。
しかも大通りで車通りも多く、なかなか青に変わってくれない。
はやる気持ちで信号が変わるのを待っていたのだが・・・

「ふぇぇぇぇん」

バスケをやっているから背は平均よりずっと高い彼の足元から聞こえる子供特有の泣き声。
驚いて下を見ると黄色い髪を可愛らしいリボンでツインテールにした5歳ぐらいの小さな女の子がママーと母親を呼びながら大泣きしているではないか。
察するに迷子なのだろう、自分がぶつかったとか何かしたのではないかと思って一瞬びっくりしたが、そうではなかったようで一安心である。
しかしまんの悪い事に周囲に信号待ちをしている人は誰もいない。
わんわん泣いている子供を放っていけるほど彼は薄情な性格をしていなかった。

「どうしたんだ?」

女の子の身長に合わせてしゃがみ込み、極力優しい声で聞いてみる。
すると予想通り、女の子はママがいないと瞳いっぱいに涙を貯めて見上げてくる。
顔を上げたその女の子は大きな瞳で睫毛も長くてとても可愛い顔立ちをしていて、一人でうろついていたら誰かに攫われてしまうかも知れないぐらいの美少女だった。
女の子は心配してくれる彼の存在に気付くと少し安心したようで、ひっくひっくとしゃくり上げながらも反応を返してくれる。

「ママ・・・どこぉ?」

「あーうん、どこいったんだろうなぁ・・・」

ママがいなくなったんじゃなくて、自分がママからはぐれたんだろうと言いたいところだが、こんな小さな子供にそれを理解しろと言っても無理なので、大丈夫大丈夫と頭を撫でてやった。
しかしこんなに注意深く周囲を見渡しても近くにそれらしき女性の影は見えないし、駅前のロータリーの中央に立っている時計台は集合時間間近を指している。
とりあえず携帯電話で誰かに連絡を、と思ってポケットに手を突っ込んで愕然とした。
朝、急ぎすぎて携帯を忘れてきてしまったのにようやく気付いたのだ。

「あーどうしようか・・・」

いつも時間に余裕を持って集合場所に着いている彼だから、きっと部員の誰かから連絡が来てるに違いないが、手元に無ければそれを確認のしようもないので、女の子を連れて待ち合わせ場所に向かうことにする。
顧問の先生もマネージャーもいるし、時間に遅れても誰か1人ぐらいは彼を待っていてくれるだろう。

「えっと、お母さんは見つけてあげるからとりあえずここから移動して良いかな?」

しかし女の子の同意も無しに一緒に連れて行って誘拐だと騒がれては困る。
最近物騒だから親もこういったことに注意するよう子供に言い聞かせているはずだ。
さっきのようになるべく優しく、不信感をもたれないように女の子に聞いてみるとまだ目に涙をためていたがこくりと頷いてくれた。
ついでに女の子、と呼ぶのもいかがなものかと名前を尋ねてみたのだが・・・

「かさまつみゆき・・・」

「かさまつ、って・・・」

漢字は分からないが、そうそうある苗字ではないことに引っかかりを覚えた。
彼の身近に一人、その苗字を持った知り合いの顔を思い出したからだ。
しかし・・・

「ないよなぁ・・・」

思い出したその人物の人となりを思い出し、直ぐに思い浮かんだことを否定する。
とりあえず少女を連れて途中にあったら交番に預けるなり、無理なら他の部員と合流して指示を仰ごう。
もう一度女の子に許可を貰ってその小さな身体を抱き上げると彼はようやく青に変わった信号を渡り、駅へと急いだのだった。







彼女は慌てていた。
今日は彼女がマネージャーとして所属しているバスケ部が他校と練習試合の日だ。
しかし集合時間ギリギリになっても選手の一人が来ない上、連絡も寄越さず、こちらから携帯電話に何度かけても出る様子が無い。
顧問から最悪、先に他の生徒を連れていくから彼と合流次第、後から一緒に来てくれと言われているが連絡が無いのはやはり気がかりだった。
待ち合わせ場所にした駅はこの辺りでは主要な規模の大きな駅で、周囲にはバスターミナルや商店も立ち並んでいるので迷っているのかも知れない。
ちょっとその辺りを見てきますと他の部員に言い残して探索に出たのが悪かった。

「すみませんっス!!
 この辺りで小さな女の子を見なかったっスか?」

駅の構内から出て暫く、屋根の付いた広いバスターミナルの中を歩いていた時、彼女は後ろから呼び止められた。
その声に振り返ると思わずうわ・・・と感嘆の溜息をついてしまうぐらいに綺麗でスタイルの良い女の人が彼女を見つめ返してきた。

「えっと・・・女の子ですか?」

「はい、この子を後2歳ぐらい大きくした女の子なんですけど・・・」

無駄な肉など何処にもついていないような身体で女性が自分の足元から抱き上げたのは3歳ぐらいの女の子。
女の人と同じサラサラの黄色の髪を可愛らしくツインテールに結わえてあるその子の顔を抱き上げた女性と何度も見比べてしまった。
髪質や目つきなんかそっくりそのままと言ってもいいだろう女の子はとても可愛らしく、誰か見たってこの女の人と親子なのだろう。
正直、見た目もだがばっちり化粧をして今流行りのスタイルを難なく着こなしている女性はとても子供がいるように見えなかった。
その子の2歳上、ということは5歳ぐらいの子供もいるということで・・・実はそこそこの年齢なのかも知れない。
世の中にはこんな綺麗な子持ちの母親がいるのだと彼女はまたため息をついた。

「あの・・・いなかったっスよね?」

「え?あぁごめんなさい!!
 見て、無いですね・・・」

「そうっすか・・・」

どこ行っちゃったんだろうと心配だと言う顔を隠しきれない女の人は腕の中の女の子をあやしながら泣きそうな顔になっている。
当たり前だ、自分の子供がいなくなったのに心配しない母親がどこにいる。
それなのに見とれてしまっていた自分に罪悪感を覚えてしまって一緒に探しましょうか?と今の状況を忘れて言ってしまうぐらい、その女の人は何故か放っておけないオーラを漂わせていた。

「いいんっスか!?」

「は、はい・・・。」

ずい、と彼女の顔を覗き込んでくる女性は近くで見るとやっぱりとても美人で肌も綺麗で何だか恥ずかしくなって目をそらせてしまう。
しかしこんなに喜ばれるなんて・・・とちょっとびっくりしてしまったが、その笑顔がなんだかとても可愛らしくてまぁいいかと思ってしまった。
探し人がいるのはどちらも一緒なのだから二人で探せば早く見つけられるかもしれない。







駅前で交通量が多く長めの横断歩道を渡り切りバスターミナルの中まで来てみたのだが、はたまた残念ながら見渡すあたりに交番は見当たらなかった。
欲しい物は欲しい時に限って見つからないことが多いというが、まったくその言葉の通りである。
仕方ないので彼は待ち合わせ場所である駅の構内まで女の子を連れて行くことにした。
駅なら交番はなくても駅員さんがいるし、連絡をつけられない部員をこれ以上待たせるのも良くない。
しかし・・・

「ねぇ、おにいちゃんどこいくんスか?」

母親とはぐれた所から離れていっているのは幼くても気が付いたらしい女の子が腕の中から彼を見上げてくる。

「うん、お巡りさんがいないから駅員さんにお母さんを見なかったか聞いてみようと思って。」

元々人懐っこいのか、すっかり彼に懐いてくれた女の子は腕の中で泣き止んでくれているのだが、あまり不安がらせるのは良くないだろう。
また泣き出されてはたまったものではないし、人通りの多い駅前で騒がれでもしたら彼が女の子を誘拐したと思われてお巡りさんを呼ばれるかも知れない。

「えきにいくんスか?」

「うんそう、だからもうちょっと待っててね?」

「りょーかいっス!」

「よし、あともうちょっと。」

ぴしり、小さな手を上げていい返事を返す女の子を落とさないように、けれどなるべく急いで待ち合わせである駅の構内に入る。
しかし快速や何本かの路線の混じるこの駅は他の駅に比べて構内も広く、人も多いので思うように進めない。
人波を掻き分けながら進んでいくと見慣れた青いジャージを着た一団が見えてきた。
バスケ部員の集団だけあって背の高い部員も多く、彼自身も平均以上の身長を持っているので彼らを見つけるのは簡単だった。
しかしこの女の子、本当にどうしようか・・・そう思っているとふと振り返った部員の1人が彼の存在に気が付いた。

「あ、来た来た!!」

1人が言い出した声に他の部員たちも次々に彼の方を振り返り、口々に遅いだの連絡しろだの言ってくる。
そしてやはり・・・

「お前、その女の子・・・」

「あー、どうも迷子らしくて・・・」

駅前で泣いてたのだと説明するが、小さな女の子とはいえかなりの美少女を連れている彼に怪訝な視線が向けられる。
中には誘拐だとかロリコンだとか言う部員もいて、やっぱり・・・という予想通りの反応に彼は苦笑するしかない。
まぁ所詮は青少年である彼らに期待はしていない。
生徒の引率の為に顧問でありバスケ部の監督もしている教師が来ているはずなので、そちらに相談した方がいいと最初から思っている。
さて、その先生はどこにいるかと探す前に向こうから頭を短く刈り込んだまだ年若い教師が眉間に皺を寄せながら彼の前に出てきたのだが・・・

「お前、遅れるんなら連絡ぐらい寄越せ・・・「パパぁ!!」」

「え?」

腕の中の女の子が瞳を輝かせてパパと声を張り上げた。
え?まさか、そんなこと・・・戸惑う彼は確かに女の子の名前を聞いた時、彼の顔を思い浮かばなかったことは無いけれど・・・

「は?美幸!?」

そこにいたバスケ部員全員は彼の腕の中で頬を上気させてパパと呼ぶ可愛らしい女の子と、彼女にパパと呼ばれたバスケ部顧問の驚いた顔を見てしばらく絶句していた。







「いないみたいですねぇ・・・」

「そうっスねぇ・・・」

大きな駅なので案内のインフォメーションセンターがあり、二人でそこをたずねてみたのだが、そういったお知らせは入っていないという。
見つかったら放送を入れてくれと頼んでその場を後にするが・・・

「先に交番にも行ってみたんスけど・・・」

そちらもそういった連絡は来ていないのだと言われたそうである。
はぐれた周囲も何度か行ったり来たりして探してみたらしいのだが、見つからなかったらしい。
下の娘さんがぐずって彼女がそちらに気を取られているうちにいなくなってしまったという娘さんの行動力に驚く他ない。

「母親失格っスね・・・」

「そ、そんなこと無いですよ!!」

しょんぼり項垂れてしまった女性をがんばって励ましてみるものの、浮上してくる様子は無い。
しかしこの女性、文句なしに美人だけれど感情の振れ幅が大きいのか、たまに無性にかわいらしく見えてくることがある。
そう、まるで大型犬のような・・・

「も、もう一回交番に行ってみましょう?」

いけないいけないと彼女はその思考を振り払う。
年上の女性を動物扱いは失礼だ。
しかし母親の傷心を察したのか、抱っこされた下の娘に小さな手で頭を撫でられている彼女の様子を見ているとどうしてもそう見えてしまう。
その時・・・

ブーンブーン

「電話?」

彼女が制服のポケットに入れていた携帯電話がバイブ音を響かせているのに気が付いた。
長時間振るえの止まらないそれにメールではなく電話がかかってきていると分かるのだが・・・

「あ、どうぞ出てくださいっス。」

「すみません、じゃあ・・・」

しょんぼりした顔のまま、いまだ娘に頭を撫でられている女の人がどうぞと言ってくれたので、女の人に背を向けてポケットから取り出した携帯の通話ボタンを押す。
ディスプレイの相手は同じバスケ部のマネージャーをしている友人で、その内容は予想した通り来ていなかった部員がようやく来たという知らせ、そして・・・

『とにかく早く帰ってきなよ。
 先生の娘さん、超〜〜可愛いの!!』

「娘さんって・・・」

こっちはそんな余裕なんてないと言いたいのだが、友人は目の前で起こっている事の方が重要らしく、熱の篭った口調で彼女に今起こっていることを力説してくれる。
曰く、遅刻していた部員がここに来る途中で迷子を発見したのだが交番が見当たらず仕方なく集合場所につれてきた所、その女の子はなんと我らがバスケ部顧問の娘さんだということらしい。
この世にはすごい偶然もあるものだ。
しかし・・・

『5歳って言ってたけど、黄色い髪でくりっくりの目しててまつ毛も長くて超美少女!!
 先生に似てないからお嫁さん似だろうけど、お母さんどんな美人ってぐらい可愛い子なの!!』

先生に失礼だろうと思うが、興奮しすぎてどんどん声が大きくなってくる友人の声がうるさくなってきて、にとりあえずもう少ししたら帰るといって通話を切った。
そしてすっかり待たせてしまった女の人を見て、彼女はさっきの電話の内容を思い出す。
5歳ぐらいの女の子、黄色い髪、大きな目と長いまつ毛でとても可愛い女の子、お母さんは美人・・・それって・・・

「あの・・・」

「はい?」

未だ下の娘に慰められていた女の人は呼ばれてさっと顔を上げた。
その顔は化粧をしているが元々の顔がまず誰が見ても美人と言うほか無く、色素の薄い黄色い髪はさらさら。
そして腕に抱いた娘は母親と同じ髪の色に大きな目で長いまつげ、女の人が探している子はその子の2歳上で5歳・・・それらのヒントから導きだされる答えは・・・

「ちょっと、迷子の娘さんの心当たりが見つかったので付いて来ていただけませんか?」

「!!直ぐに行くっス!!」

まさか・・・という思いはあるが、まず間違いないだろうと確信を抱いて彼女は先ほどの道のりを女の人と共に戻るのだった。







「先生、子供いたとかありえない!!」

「うっせ・・・」

「ねぇ、お名前なんていうの?」

「かさまつみゆきっス!」

はぐれたという母親は見つからなかったが、父親を見つけた少女は構ってくれるマネージャーの女子に囲まれてニコニコ笑顔を振りまいている。
しかし本当に・・・

「似てないっすね・・・」

「だからうるせえよ。」

バスケ部の顧問である笠松幸男先生だって顔は悪くない。
真っ黒な毛を短くスポーツ刈りにした教師はイケメンというよりはどちらかというと男前といった顔立ちだ。
この海常高校バスケ部のOBで主将も務めあげたこの教師は、今でも現役のバスケ部員に混じってハードな練習をこなしてもぴんぴんしているぐらいに体力もあって体格も良い。
性格はぶっきらぼうだが気さくで面倒見も良いので男女のみならず人気の高い教師である。
だが、父親のズボンの裾を掴んで女子と話す先生の娘は可愛らしいの一言に尽きた。
彼が見つけた時は母親とはぐれた不安で泣きじゃくっていたが、元々人懐っこいのだろう、元々作りの良い顔立ちに笑みを浮かべて元気よくマネージャーからの質問に答えている。

「嫁さんの写真とかないんすか?」

「あってもお前らには絶対に見せねぇ。」

この顧問に似ても似つかない娘さんの母親、つまり先生の奥さんの姿を想像しては口々に問い詰める男子部員だが、顧問は見せないの一点張り。
これは絶対に写真を持っているパターンだと思うが、怒りの鉄槌をくらうのは勘弁なので誰も時折顧問が持ち出している携帯を横から取ろうとはしなかったけれど・・・
しかしこの顧問、授業もバスケ部の指導も熱心でとてもいい教師だと思うが、自分の家の事はあまり話さないのでまさか結婚していて更に娘までいるなんて誰も思いはしなかっただろう。
まぁ年齢的に結婚していてもおかしくない年ではあるが、それにしたってこの美少女の父親という驚きの現実に少しぐらい睨まれたところでこの話題を手放すつもりは生徒たちにはなかった。

「つーかお前、どうして一人でこんなとこに来たんだ?」

今日はママと出かけると言っていなかったか?と聞きながらひょい、としゃがんだ女子生徒の中心にいた娘を自分と同じ目線まで抱き上げると、娘は抱き上げられたことできゃーと喜んでいていまいち緊張感が無い。
偶然とはいえ父親が見つかったのは良いが、肝心の母親はどこにいるのか分からない。
父親もどうして娘がここにいるのか不思議に思って娘に聞いてみるのだが・・・

「ママがゆくえふめいなんっス!」

「行方不明はお前だろうが・・・」

はぁ、予想はしていたようだが暢気な答えにため息を零す。
しかし小さな子供に言い聞かせても分からないと知っているのか、どうするかといいながら何度か覗き込んでいる携帯をもう一度見たのだが・・・

「そーなんスかー?」

「そうなんだよ。」

ディスプレイに思ったものはなかったらしく、可愛らしく小首をかしげる娘に落胆した声で返事を返す。
けれど顧問もだが生徒達もこの状況には心底困っていた。
いくら時間に余裕を持って集まっているとはいえ、今日はこれから他校に練習試合をしに行くのだ。
しかし小さな女の子1人を置いてなどいけないし、監督が来ないとなるとそっちも問題がある。
一緒に連れて行くにもはぐれてしまった母親の所在が分からないことには母親の方が困るのだが、顧問が何度か着信を入れているようだがその顔色を見たら一向に繋がらないのだと分かる。

「どうしよう・・・」

彼はこの女の子を連れてきてしまった張本人だ。
まさかこんなことになるなんて思ってもみなくて、ちょっと罪悪感が沸いてきた。
しかし顧問は怒るどころか彼に悪い、助かったと言って感謝してくれたのでこの場で謝るのはどうだろうか・・・
うーん、と1人部員の輪の外で悩んでいたのだが、駅の入り口からこちらに向かってくる人影を見つけた。
彼がよく知るバスケ部のマネージャーである一つ下の学年の女子と、そして・・・

「なんか、どっかで見たような・・・」

どうしてかは知らないが、マネージャーの彼女に付いて小走りにこちらに近寄ってくる女性。
女性にしてはなかなかの長身にすらりとした手足を持った、黄色い髪の綺麗な人だ。
うわぁ・・・いきなり表れた美人の女の人に思わずため息が漏れるが、彼の目が留まったのはその女の人の腕に抱っこされている3歳ぐらいの女の子。
彼がここに連れてきた女の子をそのまま小さくしたような子供を連れた女性はもしかしなくても・・・

「ママー!!」

様子のおかしい彼に目ざとく気がついたらしい女の子は何だろうと好奇心の塊の様な瞳を彼の視線の先に向けた。
そして先ほど、彼らの顧問を呼んだときと同じ、嬉しいといわんばかりの声でママと声を張り上げてその女性のいる方へ走り出した。
女性の方も女の子を見つけた瞬間、走るスピードを上げて娘の所まで一目散に駆けてくる。

「もー、どこ行ってたんスか!?
 めちゃくちゃ心配したっスよ!!」

先に抱いていた小さい方の女の子を地面に降ろした女性は足元に走ってきた女の子をぎゅうっと抱きしめるとめっ、と言って叱り付けている。
女の子もはぐれてしまった自覚はあるらしく、ごめんなさいと小さく告げるともう一度母親の胸の中に飛び込んで行った。
美しい親子の光景、女の子はお母さんと会えてめでたしめでたし・・・と終わるわけには行かなかった。
この女の子の父親がバスケ部の顧問で、更にこの女性が母親ということはこの女性が先生の・・・

「先生って、かなりリア充・・・」

「奥さんマジバネェ・・・」

ついさっきまで噂していた当事者が現れたのだ、部員みんなして一斉に顧問の方に視線を向けると恥ずかしそうに顔を赤く染めて目を逸らしてしまう。
いまだかつて見たことのない顧問のその表情に生徒達は衝撃を受けていた。
だってあの先生が・・・熱血指導で有名で、昨今の教師にしては体罰も辞さないあの先生がこんなに綺麗なお嫁さんとこんなに愛い娘を二人も持っている勝ち組だったなんて・・・
しかしこの後、生徒達の目の前で繰り広げられた光景により彼らは更なる衝撃を受けることとなる。
上の娘と何やら話していた女性がえ?と驚いた表情で顔を上げ、その視線の先に我らがバスケ部顧問を捕らえた瞬間、ぱあ、女性の表情がいきなり明るくなったと思ったら・・・

「センパーイ!!」

「え?おわっ!?」

娘二人を放置して、飛びつくようにあの美人が顧問の胸の中へダイブしたのだ。
しかも呼び方はアナタとか、パパとか、名前呼びではなく先輩と呼んだのを全員が聞いている。
先輩、ということはいつからかは知らないが二人は学生時代からの付き合いということで・・・
そんな若いうちからこんな美人が間近にいたなんて、しかもお嫁さんにまでなってしまった顧問はやっぱりリア充以外の何者でもないと誰しもが確信した。

「もー会えなくて寂しかったっスよー」

「寂しかったってお前、朝出てきたところだろーが!!」

「一緒にいれなかったらいつも寂しいんです〜〜」

馬鹿ップル。
ここにいるバスケ部員全員が同時に思った。
好き好き大好きオーラ全開で抱きついてくる嫁はもちろんだが、そんな妻に真っ赤になって場所を考えろとか離れろとか文句を言いつつも無理やり突き放してしまえないあたりがもう妻に甘い夫の典型だ。
しかしこんな美人の嫁にここまでベタ惚れされているなんて男としてどんな羨ましい状況なのだろうか。
爆破すればいい、と何人の思春期の少年が思ったことだろう。

「つーかお前、何回着信入れたと思ってんだ・・・」

「え?あぁ!!」

はっと鞄から取り出した携帯を見て冷や汗をかく女性。
恐る恐る夫を見上げると小さな声で動揺してて気づかなかったっス・・・と言って頭を下げた。
それにちょっと言い過ぎたと思ったのか、真っ赤になりながら大きな手のひらを彼女の頭に乗せて次から気をつけろと言って頭を撫でる。
その光景に耐え切れなくなったのか、それとも先ほどの衝撃から復活したのか、マネージャーの女子達が一斉にキャーと甲高い声で騒ぎ出した。
そりゃそうだ、目の前でこんないい雰囲気を見せつけられたら・・・

「ほ、ほら時間ねーんだろ!!」

かぁぁぁぁ、と女子の興奮した声にようやく自分が何をしたか気づいてのか、真っ赤になった顧問は嫁を回れ右させると背中を押して早く行けと急かす。
折角の機会なのにと女子からはえぇーと残念そうな声が上がるが、それが顧問にとっては逆効果で早く嫁を返そうと躍起になってしまう。
しかしこのお嫁さん、夫の性格を把握しているのか、それともめげない性格なのか、後ろから急かす旦那をくるりと振り返るとニッコリと今日見た中で一番いい笑顔を見せて・・・

「今日はセンパイの好きな肉じゃがっス!
 早く帰ってきてくださいね〜」

「あぁもう分かった、分かった、楽しみにしてるから。
 ほら、お前ら早く行くぞ!!」

またキャーキャー言い始めた女子マネージャーと美人のお嫁さんとのラブラブな様子を見せつけられて舌打ちまで出始めた男子部員に囲まれた顧問は恥ずかしいのは分かるが、こっちに当たらないで欲しいと思う。
しかし練習試合の時間は迫っていて、みんな顧問の言う通り渋々定期やICカードを持ち出して改札へ向かっていく。
未だニコニコ笑って手を振ってくれる超美人のお嫁さんに照れたり手を振り返したりしながら、ゆっくり進んでいたらまた顧問の怒号が飛んできた。
それは自分の嫁を邪な視線で見るなと言っているようにしか聞こえないのだが、やはりどつかれたくないので誰も何も言わなかったが・・・

「あ、ちょっと待って・・・」

「どうしたんですか?」

他の部員にならって彼と彼女もICカードや先に買っておいた切符をそれぞれ持ち出して改札に向かおうとしたのだが、ジャージの裾を引っ張る小さな力に気付いて足を止めた。
引っ張られたあたり、足元に視線を向けると・・・

「おにいちゃん、ありがとう!!」

「おねーちゃ、ありがとー」

黄色い髪の、まるでひよこのような可愛らしい姉妹に呼び止められては足を止めずにはいられない。
しかも可愛らしく微笑んでありがとうと言ってくれるのだ、ちょっとぐらい遅れても許してもらえるだろう。

「よかったね、お母さん見つかって。」

「もうはぐれたら駄目だからなー?」

二人してしゃがんで小さな姉妹の頭を撫でてやる。
くすぐったそうにしながらも撫でられるのが嬉しいといった姉妹の表情に撫でているこちらも嬉しい気持ちになってきた。

「いいなぁ、こんな家族・・・」

「うん・・・」

ぶっきらぼうだけど優しいお父さんと美人だけどとても可愛らしい所のあるお母さん、それに可愛い二人の姉妹。
理想の家族だとうっとりしたように零した彼女に彼もうん、と頷いてしまった。
頷いてからはっとなったのだが、それと同時に姉妹が爆弾をひとつ二人の間に落としてくれた。

「あのね、パパとママはこうこうのばすけぶでセンパイとコーハイだったの!
 おにーちゃんとおねーちゃんもパパとママみたいでおにあいっスよ!!」

「おにあい〜〜」

「へ?」

「はい?」

ニコニコ、無邪気に笑いながら告げる姉妹のどこに悪意など感じられようか。
しかしそれを言われた当事者二人は慌てふためくしかない。
実は彼も彼女もお互いがお互いを密かに想いあっていたなんて、誰も知らない秘密だったのに・・・

「あぁ、ごめんなさいっス!!
 二人とも、お兄さんとお姉さんの邪魔しちゃめっ!!」

はぁい、あーい、母親の注意にたいへん良いお返事で返す姉妹だが、落としてしまった爆弾はもう戻せない。
真っ赤な顔で呆然としたままの二人は身動きひとつ取れないでいる。

「あの・・・大丈夫っスか?」

早く行かないとあの人にどつかれてしまうと言って送り出して貰わなければあのまま硬直したまま今度こそ本当に放って行かれただろう。
走って改札口を通り抜けると乗り込む予定の電車がホームに滑り込んできたところだった。
彼のチームメイトである男友達と、彼女と同じマネージャーである女友達がそれぞれ遅いと言って二人を迎えてくれた。
真っ赤になった顔は急いで走ってきたせいだとごまかしながら一緒に走ってきた二人はそれぞれの友人の輪の中に入ってく。
別れ際にちょっとだけ、二人の視線を絡ませて。



「パパー」

「いってらっしゃーい!!」

改札の向こうから小さな女の子の可愛い声が聞こえる。
上のお姉ちゃんは母親の足元で、下の妹は抱っこされた母親の腕の中からそれぞれに父親にいってらっしゃいと手を振っている。
そんな姉妹を抱いた一緒に子供を捜した女の人は先ほどの恋する乙女そのままの表情ではなく、優しい母親の顔をして二人に寄り添っていた。
そんな家族に軽く手を上げて最後に電車に乗り込んだ顧問を見てやっぱり理想の家族だ、と彼女はほうとため息を漏らしたのをひっそり見ていた彼の視線に気が付くのはもう少し先のこと。