「センパイの第二ボタン下さい!!」

「・・・何で?」

寒空の下、可愛い彼女が頭を下げてのお願いは気の無い彼氏の声で一刀両断にされたのだった。





まだ寒さの残る3月某日、今日は海常高校の卒業式の日であった。
体育館での式を終え、クラスでの最後のHR後、3年間苦楽を共にした部活の仲間と後輩に見送られるべくバスケ部の集まりに顔を出した彼だが、突撃する勢いで走り寄って抱きついてきた彼女と共にリア充は二人で好きにすれば良いと体育館を放り出されてしまったのである。
余計な気遣いだ、と長らく早くくっついてしまえともどかしい思いで彼らを眺めていた部員達に言い返そうにも抱きついた彼女が彼を離そうとしなかった。
こんなところを人に見られるのが恥ずかしくて、そのまましがみついた彼女を引きずるように人気の無い体育館の裏に避難してきた。
しかし誰も居ないところについても彼から離れようとしない彼女を宥めて叱ってようやく腕を解いてもらえたのだが、彼女から返ってきた第一声は第二ボタンをくれという話である。
彼女の思考回路についていくことの出来ない彼は即座になぜ?と聞き返してしまったのだが・・・

「もー卒業式のお約束じゃないっスか!!
 好きな人の第二ボタンですよ?欲しいじゃないっスか!!」

好きな人と言われた事に彼の顔が一気に熱くなるのが分かったが、目の前でムキーという擬音がぴったり当てはまる怒り方に彼は子供かとひっそりため息をついた。
その怒り方もあるのだけれど・・・

「つーか、言ってもブレザーだろ?」

彼女の言う第二ボタンの話はそもそも学ランの第二ボタンのことで、学ランに付いている上から二番目の位置にあるボタンが一番心臓に近いということが由来だったはずだ。
バスケ一筋でこれまで恋愛云々に興味がなかった彼でも知っているその話は確かに女子にとってはロマンチックな憧れを含んだものだとは思うが、生憎とこの海常高校の制服は学ランではなくブレザーである。
ブレザーの第二ボタンにもなると心臓というよりへそのあたりに付いているから、その理由には当てはまらないと思うのだ。
そして女子の感情の機微に疎い彼はついそれを口に出して言ってしまった。

「良いじゃないっスかー、気分の問題なんです!!
 センパイには私以外にちょうだいって言う人なんていないんっスから大人しくくれれば良いんですー」

「うるせえよ!!
 ったく、そんなもんなのか?」

彼の目も合わせられないまともに話も出来ないぐらいに女子が苦手な話は同じ学年の間では有名で、彼女の言う通りここに来るまで一切そんなことを言う女子には彼女以外の1人たりとも遭遇などしていない、が、実際口に出して言われればムカつくものである。
思わずそのひよこみたいに派手な黄色の頭にべしり、とチョップをお見舞いしてしまった。
しかしよく知らない他の何人もの女子にボタンが欲しいと言われるよりずっと彼女1人が欲しいと言ってくれる方がずっと嬉しいのは事実だ。
第二ボタンが欲しいとはしゃぐ彼女の気持ちはやっぱり分からないが、制服を着るのは今日限りだからボタンが無くなったところでさしたる問題ではないので、欲しいというなら別に断る理由は無かった。

「ほら。」

「・・・・・・。
 なんか、風情が無いっス・・・」

ぶちっと無造作に引き千切って差し出したボタン。
しかしさっきまで寄越せとせがんできたはずの彼女が不満げな声を上げて彼の方をジト目で見てくる。
くっつくまでに紆余曲折あったものの、始めてできた恋人であるし、ウザイだのなんだのと言いながらも大切だと思っているその彼女がそうして欲しいというならなるべくは叶えてやりたいと思っているのだけれど、流石にこの態度は無いだろう。
恋人期間よりも教育係の先輩と手のかかる後輩期間の方が長かったことも手伝い、彼女に対して甘い態度なんてなかなかとることもできないこともあり・・・

「いらねーんだったら別に・・・」

「あー!!
 いりますいります、貰いますって!!」

一体何が言いたいのか分からないがとにかくぐたぐだ文句を言う彼女にイラっとしてボタンを握った手を引こうとしたのだが、仮にもファッション雑誌の表紙を飾るモデルが到底するとは思えない必死の形相で彼の右腕を逃すまいと必死にすがり付いてきた。
その気迫とぎゅうぎゅうと腕に押し当てられる女子特有の膨らみに負けて握っていた拳を解いて中のボタンを彼女の手の平に落としてしまう。
元々女子と接することが苦手で話すこともままならないと言うのに、いくらバスケ部の先輩後輩で彼が例外的に話すことも目を合わせることもできた存在とはいえようやく出来た彼女、しかもモデルで黙っていれば美人に胸を押し付けられたらたまったものではない。
一度意識してしまえばもうどうにもならず、頭からつま先まで沸騰するのではと言うぐらい熱くなった体を何とか引き剥がずと彼は彼女との間を取ったが腕に押し付けられた感触はなかなか消えてはくれなかった。

「もー誰もいらないなんて言ってないっスよ!!」

「うっせ・・・ったく、センパイに対してなんだその態度は!!」

ぜいはぁと荒く息をつく彼の心境など我関せずといった彼女はそう言って最早奪い取ったと言っても過言ではないボタンを両手で包んでぷりぷりと怒っている。
だから怒りたいのはどっちだよと未だ激しい動悸を落ち着かせて半ば実力行使でボタンを奪ってきた彼女の頭にぐりぐりと拳骨をねじ込んだのに痛い痛いとわめく彼女だが、がっちり握ったボタンを手放そうとはしない。
しばらく体罰を加えているうちに若干涙目になり始めたこともあって拳を退けてやったのだが、彼女の不満は解消されなかったようだ。
目元を赤く染めてぶうっと頬を膨らませたままボタンを握っている手をもぞもぞと動かしている。

「ったく、何なんだよ今日は・・・
 俺、なんかしたか?」

入部したての頃のことを思うと大分と素直になった彼女ではあるが、今日の様子のおかししさはいつものそれとは違う。
本人は不都合なことを隠すことが上手いと思っているようだが、一番近くで彼女を見てきた彼には些細な彼女の変化までも気が付けてしまうので彼女の不機嫌が彼の思い違いの筈は無いが、いかんせんその理由が分からない。
昨日までも受験勉強でばたばたしてはいたが、こまめに部活に顔を出したり、時間が合えば一緒に帰ったりしてきたがこんな態度はかけらも見当たらなかったから心当たりを探そうにも見つからないのである。
こうなってしまえば女子の免疫もこういった状況に陥ったことがなく対処法が分からない彼にはお手上げ状態でしかなく、彼女の機嫌が更に悪くなるのを覚悟で教えて貰うしか方法はない。
正直、女子相手にはあまり素直に聞くことは女心とやら的には大変よろしくないということは分かっているものの、原因を突き止めなければ対処のしようがないではないかと腹を括って彼女に問いただしてみた。
やっぱりというかなんというか、彼のその問いかけに不機嫌だった彼女の表情が更に不機嫌さを増してしまったのだが、彼女の方もこの一年間、何も思わずに彼の隣にずっといた訳ではない。
彼の女心の分からなさは今に始まった事ではないし、そんな彼を好きになってしまったのは彼女自身である。
そして彼は女心が分からないなりにも誠心誠意、彼女と向き合ってくれることも知っている。
せっかくの卒業式の晴れの日に不機嫌なままでいることも出来ず、彼女は仕方ないといった表情で重い口を開いた。

「だって・・・センパイが学校来るの、今日で最後じゃないっスか・・・」

「っ悪かったよ・・・」

そのたった一言、小さな声の中に隠された思いぐらいは彼にも容易に読み取ることができた。
1年生である彼女は彼が卒業した後、2年間はこの学校に通わなければならないことが寂しいのだと。
あっという間、しかも付き合い始めてまだ数ヶ月も経っていないのに彼氏が卒業してしまうのは置いていかれる彼女には辛いものがあると理解すると彼女頭に手の平を置いてその髪を優しく撫でてやる。
さっきまでの強気は強がりの裏返しだったようで、それだけを告げた彼女はしゅんと目を伏せてしまった。

「他になんかして欲しいことあったら・・・言えよ。」

言葉はぶっきらぼうで視線もあさっての方を向いているが、何度も何度もあやすように彼女の頭を撫でる手はとても優しい。
これっきり彼と会えなくなる訳ではないと分かっていても、学校に来れば当たり前のように彼のいる日常は今日で終わってしまう。
彼が好きだと自覚したあの日は彼が卒業しても彼と会える関係になりたいとただ願っていたのに、いざこの日を迎えた今、随分と欲張りになってしまっていた。

「じゃあ・・・ネクタイも欲しいっス。」

「ネクタイ?」

大人しく頭を撫でられたままで居る彼女の細い指先が指したそれ。
彼の胸に結んであるネクタイだが、正直3年間も使ってきたそれはかなりクタクタになっている。
彼が堅苦しいのは好きではないのでいつもゆるーく巻いてあった上、下校途中に見つけたストバスで制服のままバスケをしたりと酷使してきたせいもあって余計にクタクタになっているそれの何処に欲しいと言わしめる魅力があるのやら・・・
正直、古くからある学校の制服なのでかっこいいデザインだとは言いがたいブレザーのネクタイは真っ黒で、お洒落だとも思えないのだけれど・・・

「いいから、下さい。」

「?あぁ・・・」

しゅる、と解いたネクタイをシャツの襟から抜き取ってボタンを握っている方とは違う手に握らせてやる。
どうするのか、と彼女の様子を眺めていると握っていたボタンを一旦ポケットの中に仕舞って、次いで胸につけていた自分のネクタイも外して一緒にポケットに入れてしまった。
そして両手で彼から受け取ったネクタイを自分の首に回しスルスルと胸元で形作ってゆく。
彼よりずっと上手いのではないだろうかと思うほどの手つきで、最後にきゅと結び目を整えて綺麗な形にネクタイを結び終えた彼女はへにゃりと満足そうに笑って彼を見上げると・・・

「これで後2年、センパイと一緒に学校来られるっスね。」

「〜〜〜っ」

なるほど、第二ボタンよりもネクタイの方がずっと心臓に近い・・・と思うよりもそれよりも嬉しそうに彼のネクタイを締めた彼女の笑顔にやられた。
いつもは負けん気の強いバスケット選手としての顔か生意気な後輩の顔をしているから、彼は時折見せる彼女のこんな顔にすこぶる弱い。
苦手な女子を彼女に垣間見るせいか、それとも惚れた弱みか・・・とにかく彼女の顔を直視できずそっぽをむいたまま、それでもまっすぐな言葉を彼女へ送った。

「ネクタイだけじゃなくて・・・
 直接会いに来れば良いだろーが!!」

「・・・いいの?」

「いいのって・・・」

先輩と後輩関係のまま彼の高校生活が終わるのが嫌だと思って、彼の最後の試合の日に告白して彼氏と彼女という関係になったのだ。
まだ口に出すのは恥ずかしいが、自分の彼女が会いたいと言うのを否定する理由なんてないだろう。

「お前、変な所で遠慮するよな・・・」

「だって、センパイも忙しいのに・・・
 大学とか、時間わかんないし・・・」

「急にしおらしくなるなよ気持ち悪い・・・」

もっと先輩を敬えと言ってこの1年間怒ってきたいつもふてぶてしい態度の彼女を思い返すと、さっきまで恥ずかしくてどもっていた唇からため息が漏れる。
さっきまでボタンを寄越せと強引に迫ってきたくせに。

「気持ち悪いってなんなんっスかー!!
 こっちは迷惑にならないかとか色々考えてっスね・・・」

「それが気持ち悪いって言ってんだよ!!
 いつもバスケしろだの言って走って来るくせに・・・」

彼女と1on1をするようになってから、主将の仕事が終わるのを待てない彼女に早くしろと何度急かされたことか。
しかしそんなことがある度に人の都合を考えろと彼女を叱ってきたものだが、いざ殊勝になったら気持ち悪いなんて思ってしまう自分がいたことに彼自身驚きを隠せない。
そのぐらい彼女に絆されていると昔の自分を思い出して呆れると同時に、彼の事を考えてしおらしくなる彼女を見て心底嬉しいと思っている気持ちがあって。
きっとそれのせいだ、言うつもりのなかった言葉が彼の口をついて出てしまったのは。

「それに・・・会いたいって思ってんの、お前だけじゃねーし・・・」

「・・・・・・!?
 ね、センパイ、それホント?ねぇ、ねぇ!?」

言ってしまってからはっと我に返っても口に出してしまった言葉を撤回することはできず、さらにそれをばっちり聞いてしまった彼女は眼を輝かせて彼の顔を覗き込んでくる。
さっきのボタンを取られた時以上の勢いと、周囲に花でも散らしそうなぐらいに喜色を隠し切れない顔はやっぱりモデルをやっているだけあって綺麗だ。
いや、雑誌などの紙に印刷された写真よりずっと綺麗で可愛らしいと思ってしまう。
彼の言葉がきっかけで彼女がこの表情を浮かべたという事実も彼の恥ずかしさに拍車をかけ、再び顔に熱が戻ってきてしまった。

「センパイ、さっきのもう一回言って!!
 一生のお願いっスから!!」

「あーもー、いいから部室帰んぞ!!」

腕に絡みつく彼女を振り払いたくても振り払えなくて、べったりひっついて離れない彼女を引きずるようにバスケ部が揃っているだろう体育館に戻ろうとする。
帰ったとしても二人でどこかへ言ってしまった彼と彼女は他の部員から盛大にからかわれることになるだろうが、このまま主将が部活に顔を出さずに帰る訳にも行かず、かといってこのまま二人で居るなんて出来そうもなかった。
大変なことになっている顔の火照りとどんな試合前でも感じたことの無かったぐらいの動悸で思考回路が麻痺してしまいそうで、このままここに居たら次に何を言い出すのか分かったものではない。

「センパイ・・・」

「んだよ・・・」

これ以上彼女にみっともない所を見せたくはないのだが、先ほどから浮き沈みの激しい彼女が彼を呼ぶか細い声を無視することも出来なくて。
ぎゅうっと小さくなって彼の腕に抱きついている彼女を見下ろした。

「会いに行くから、会いに来てくださいね・・・」

「行くよ・・・
 お前も、いつでも来ていいから・・・」

「・・・ハイ!!」

彼の返事でばぁと花が割くような笑顔になって見上げてくる彼女の顔に限界かと思った顔の火照りが更に温度を上げる。
そして彼はやっぱり彼女のこのキラキラした笑顔が一番好きで、この笑顔に引かれたのだと思うと同時に彼女がこうやって笑ってくれるなら多少恥ずかしくてもいいかと思ってしまったことは絶対に秘密にしておかなければと思うのだった。