彼が子供好きという話はこれまで特に聞いたことはなかった。
けれど高校時代から知っている彼女の夫は後輩の面倒見がとても良く、あの頃は手のつけようのなかったぐらいに擦れていた彼女に対しても投げ出すことなく真摯に向き合ってくれたものだ。
そんな夫なので、子供ができたらきっと世の男性よりずっと面倒を見てくれるだろうと言葉にはしなかったけれど確信は持っていた。
思っていたのだが・・・これは予想外に面倒見が良すぎるのではないだろうか?
いや、面倒見という次元の話ではないだろう。
特に予定もない穏やかな日曜日の昼下がり、よちよち歩きを始めて一層目が離せなくなった娘を学校も顧問のバスケ部も休みの夫に見て貰って家事を済ませていた彼女はリビングに入ってきた瞬間に目に飛び込んだ光景を見てぴたりと歩みを止めてしまった。
『なんか可愛いっスね・・・』
そんな感想を持った彼女の視線の先には自分の夫と娘。
もうすぐ2歳になる可愛い盛りの娘が可愛いのは最早当たり前なので、わざわざ言う必要もないだろう。
彼女が可愛いと思ったのは何を隠そう、男前な性格と評判の夫の行動であった。
「こら、待てって・・・」
「やー」
とてとて、小さな足でふらふらとあちらこちらへ歩き回る娘の背中を追って、父親である彼は後ろを付いて回っているのだが、小さな娘の視線か背丈に合わせて背中をくるりと丸めた中腰でえっちらおっちらと動いている様子がなんだか可愛いのである。
学生の頃はバリバリの体育会系で、今でも運動部の指導をしている彼の背中は普段はピンと伸びているのもあってそのギャップにくすりと笑みがこぼれた。
昔から大人数の部員への指導を難なくやってのけるぐらいの人格と指導力を持っているというのに、たった1人の赤ちゃんに振り回されているのだから尚更、彼の新たな一面を見ることが出来たとなんだか嬉しくなってしまったのだ。
そんなわけで彼女は少し遠くから黙って父娘の追いかけっこを眺めていたのだが、ついに痺れを切らせた彼が危ないだろうがと言いながら娘を膝の上に抱き上げてしまった。
のだけれど、好奇心の塊である子供は大人しく抱っこされていてもくれるはずもなく・・・
「あ〜〜!!」
「あぁもう・・・」
小さいながらも眉間に皺を寄せて不満を主張している娘は父親の膝から降りようと小さな足を床につけるべく彼の膝の上に小さなお手手を置いて踏ん張っている。
果敢なチャレンジをする娘に先ほどより一層おろおろし始めた夫の様子を彼女は思わずスマフォの画像に収めてしまった。
「何笑ってんだよ・・・」
ぱしゃりと言うシャッター音でようやく妻が家事を終えてきたことに気が付いたのか、眉間に皺を寄せて彼女を軽く睨みつけてくる。
少し頬が染まっているのはあわてている所を見られて恥ずかしいからだろう。
彼は昔から彼女のみならず他人に弱みを見せたがらない。
今更・・・と彼女は思うのだが、長年の付き合いのせいでそれを無視できるようにもなっているので何も言わないけれど。
しかし娘の顔は誰が見ても母親似だし、色素の薄い金に近い髪や亜麻色をした目の色まで彼女にそっくりなのだが、眉間に寄った皺は父親譲りなのかも知れないとこの光景を見て思う。
むすっとした今の二人の表情がそっくりで、もう一度シャッターボタンを押してしまう。
「だってそんなセンパイの顔、始めてなんですもん。」
カメラのレンズを彼に向けながらくすり、と笑えば不機嫌を増した夫はぶすりとしながら顔を逸らせてしまった。
けれど娘がはいはいを始めた頃に怪我をしそうなリビングの家具は全部囲いやカバーで保護し、コンセントやコード類も手に取れないところにきちんと仕舞って安全面には十分に気を使ってきた。
台所や玄関に出る扉には出られないように柵もつけてあるので、この部屋を好きに動き回らせる位心配はないようにしていると知っているはずである。
「いつも遊ばせてるんで大丈夫っスよ?」
終日中、一緒にいる彼女でも家事があるのでずっと娘に付いて回っている訳にもいかないので、注意をしつつも娘1人にしている時間も多い。
なので別にずっと見ている必要も無いと娘の行動に逐一反応しておろおろする夫にそう言ったのだが・・・
「いや、でもふらふらしてるし・・・」
少し目を離した隙にぽてっと尻餅をついてしゃがみこんでしまった娘を慌てて抱き上げる夫に再び苦笑が漏れる。
この年でこの心配のしよう、過保護と言っても過言ではない夫は娘がもっと大きくなったらどれだけ心配をしなければならないのだろうか。
まだ娘をどこにも嫁にやらないなんていう類の言葉は彼の口から出てはいないが、この様子だといつ口にしてもおかしくは無い。
まったく、彼はこんな人だったのだろうかと思いつつ、男親とはこんなものかもしれないと諦めた方が良さそうだ。
それについこの前までは膝の上に抱き上げても大人しくしていたので、とにかく動きたがる娘に戸惑っているらしいから尚更だ。
拙いながらも言葉を話し始めたこともあり、や!!なんて拒絶されてしまうのもなかなか彼の心に突き刺さるらしい。
大人しく抱っこされていて欲しい心境と、娘の自由にさせてやりたい心境を戦わせている彼は娘と彼女の目の前で先ほどと同じ攻防戦を繰り広げている。
構って欲しがりな所のある彼女は娘ばかりでなく自分も構って欲しいと思わなくもないが、まぁしかしたくさん動いてくれればお昼寝の時にぐっすり寝てくれるので楽だろうと思うことにしてそっとソファーに腰を下ろした。
「でもこんな親馬鹿になるなんて・・・」
思っても見なかったと再び追いかけっこを始めた夫と娘を見ながら呟いたが、自分そっくりの娘を溺愛している夫に彼女もベタ惚れなのだからお互い様かとため息をつきつつ、今現在彼女のお腹の中にいる二人目の子供は男の子の方が彼の心労は軽くていいのかも知れないと真剣に考える彼女であった。
しかし彼女の願いは叶わず第二子となった子供も可愛らしい娘で・・・しかも姉妹共に母親似だった彼の心労は増える一方であると知らされるのはもう少し先のこと。